株式会社日吉屋 五代目当主 西堀耕太郎様

2024.08.13 - 2024.09.12

伝統は革新の連続。日本の伝統工芸を次世代、そして世界へ

「Local Link」は、地方にある魅力的な企業や経営者の想いをストーリー形式で知ることのできる求人メディアです。求人募集中の企業については、インタビューの最後に求人情報と応募フォームが掲載されています。

今回は、株式会社日吉屋 五代目当主 西堀耕太郎 様です。

【Profile】
株式会社日吉屋
五代目当主 西堀耕太郎 

1974年和歌山県新宮市生まれ。高校卒業後カナダへ留学。帰国後、新宮市役所に入庁し経済観光課に勤務する。2004年、妻の実家である日吉屋の五代目に就任。廃業寸前だった京和傘老舗の売上を150倍に成長させる。2008年からは海外事業にも進出。伝統の技を世界で売るグローバル・ニッチ戦略および「ネクスト・マーケットイン」メソッドを確立し、全国各地の伝統工芸の発展・振興を支援。最近では金融機関と提携した地方の社会課題解決プロジェクトにも参画している。

目次

国内唯一の「京和傘」工房、日吉屋

私が五代目当主を務める日吉屋は、江戸時代後期に創業された京和傘の老舗です。160年以上にわたり伝統の技術を継承し、京和傘をつくり続けてきました。2024年現在でも番傘や蛇の目傘、野点傘などの制作、寺社仏閣、伝統行事に使う各種和傘の修繕などを行っています。

洋装が一般的になるにつれ、和傘そのもののニーズは激減。1950年代に全国で年間約1700万本以上生産されていたと言われていたが、年々急激に減少し、2000年代に入ると皆無といっていいぐらいでした。そのころ京都に残っていた京和傘の工房は2軒だったのですが、そのうちの1軒は廃業の憂き目に。日吉屋も一時は店を畳むところまで追い詰められていたんです。

しかし私は「売れないから」というだけでこの伝統技術が潰えてしまうことに抵抗感を覚えました。非常にもったいない、と。そこで勤め先だった市役所を辞めて妻の実家に養子入り。日吉屋の五代目当主を襲名することにしました。その後、和傘の優れた点や独自の製法を活かしたデザイン照明等を開発。国内外に展開し、グループ売上を約150倍にまで引き上げました。

現在の業容はまず伝統工芸部門として祖業の和傘や提灯などの製造があり、そこに復興の原動力となったデザイン照明やデザイン雑貨の企画・製造部門、ホテルやカフェといったBtoB向けのインテリア商材を扱う部門があります。さらに伝統工芸のプロデュースを行なうクラフトラボや教育事業、クラフトツーリズム事業も展開しています。

私がやっていることはいずれも特別なことではないと思っています。確かに大変ではありますが誰でもできる。頑張ればできることばかりです。前向きに一生懸命取り組むことで日本の伝統工芸を時代にあわせて進化させ、世界に誇れる資産にできる。こんなおもしろいことはありません。

海外留学で日本の素晴らしさを再認識

私の出身は和歌山県新宮市。大学進学も考えていたのですが思うところあって高校卒業後、単身カナダに留学することにしました。約1年ほどの海外生活で気づいたのは、自分自身が日本について何も語るものを持っていない、ということ。スクールの仲間はみな、自国についての歴史や文化についてきちんと話せるんですよ。でも私は驚くほど語れない。

それもそのはず、当時は学校で日本の文化について学ぶ機会は全くなかったんです。日本史は好きだったけど人に語れるほどではなかったし、ましてや能や歌舞伎といった伝統芸能に触れることはありませんでした。ただ私は合気道をやっていたので、それを日本のアイデンティティとして紹介すると、周囲のみんなは素晴らしいと賞賛してくれた。

この出来事をきっかけに、日本という国をあらためて見直すようになったんです。よく調べると日本は歴史が長いし、とても奥深い文化を持っている。島国であり、鎖国の時代なども経ていることから独自性に富んだ国であることがわかってきました。日本の素晴らしさを再認識できたことが留学で得られた財産であり、いまにつながる源流ですね。

帰国後は故郷である新宮市の市役所に入庁します。ここで人生のターニングポイントとなる出来事がありました。ひとつは「日吉屋の次女」である妻との出会い。そしてもうひとつは市役所の仕事を通じてのインターネットとの出会いです。

妻を通して京和傘を知ったときは単純にすごいな、と思いました。江戸時代から継承されてきた技術を使って本物の工芸品を作る職人さんたちを前に感動したんです。ここまで心を動かされたのも留学経験のおかげでしょうね。実際、妻の実家のみなさんは生まれ育ってきた中で当たり前のことばかりなので、特に珍しいとも感じていなかったようですし。

その和傘もたくさん売れていればよかったのですが、あまりにも売れない(その当時の年間売上は約100万円ほど)ので、近々廃業します、というではありませんか。関わっている方々のモチベーションも全体的に低い様子で。せっかくいいものがあるのに、と忸怩たる思いにかられたのを覚えています。

ちょうど1990年代半ばのその頃、世の中にインターネットが普及し始めるかどうか、という時代でした。私が勤務していた市役所の観光課でもPRにネットの活用を、という声が高まり、それなら一番の若手に、と私に白羽の矢が立ちました。なんといっても上司はワープロしか使っていないような環境でしたからね。

そんな黎明期にインターネットに触れられたことはその後のキャリアにとって大きなプラスになりました。行政の中でのネット活用勉強会に参加したり、手探りで観光協会のホームページをつくったりするうちに「これは広まるな」と確信。販売低迷に手をこまねいているぐらいなら和傘もネットで販売してみたらどうか、と妻の実家に働きかけました。

それが96年ぐらいですから、日吉屋のネット化は伝統産業業界では比較的早かったと思いますよ。GoogleもFacebookもない時代。でもホームページを開設すると「和傘」で検索してページに来る人が現れるわけです。当時はまだオンラインでのクレカ決済は導入できていませんでしたが、宅急便の代引きサービスを活用できた。そのあたりから年間の売上が数百万円ぐらいになってきたんですね。

あわせて和傘づくりにも挑戦をはじめます。もともとプラモデルが好きだったこともあり、見事にハマりました。土日の休日を潰して和歌山から京都まで車で来て、工房で一から職人さんから教えてもらったり、作業工程をビデオに録画したり。それで材料を貰って帰り、和歌山の自宅で仕事終わりに和傘づくりに励む、という日々。面白かったですね。

結局、片道4時間かかる和歌山と京都の2拠点生活を7年ぐらい続けました。そこでネットを通して売れるようになってきたし、商品として販売出来るレベルの和傘も作れるようになってきたので、婿養子として日吉屋の五代目を継がせてくださいとお願いしました。29歳の時の話です。

「伝統は革新の連続」の実践

平安時代以前に中国から日本に伝来したと言われる和傘は、当初は主に魔除けや権威の象徴として使われていました。だから開閉もしなかったんですよ。平安時代の頃の話です。それが時代と共に進化し、江戸時代になってから庶民の雨具として、あるいは歌舞伎の舞台で伝統芸能として扱われるようになったんです。

和傘の需要が激減したのは前述の通り、和装から洋装に変わったから。だとしたらいまの時代にあった商品を開発すべきではないか。私が五代目に就任する前からずっと考えていたことです。イノベーションを起こして日本だけでなく世界中のお客様から求められる伝統工芸品は作れないものか。

そんなとき、和紙に天然の油を塗って天日干しする製造工程を見ていて、和紙を通した太陽光がとても綺麗なことに気づきました。これを電球で再現したら…と閃いたんです。しかも意匠の面からも和傘の特徴である竹骨の美しさ、自由度が活かせる、と。そこから着想して生まれたのがデザイン照明でした。2006年のことです。

まずはデザイナーやクリエイターとの協業を考え、ブランディングプロデューサーも巻き込んでのプロジェクトを立ち上げます。ディスカッションを重ねる中で意匠照明の分野にフォーカスすることを決断。マスプロダクトとは一線を画すコンセプトによって、美しさや伝統工芸の技などひとつひとつのエレメントが「物語」として付加価値になります。

デザイン照明は伝統工芸ですから大量生産できません。そしてその分、単価が高くなります。でもその高単価を吸収するのはプロダクトが持っている「物語」そのもの。おかげさまでデザイン照明『KOTORI』や『MOTO』はその意匠性やストーリーが評価され、グッドデザイン賞中小企業庁長官賞をはじめ数々の受賞を獲得するに至りました。

さらにグローバルニッチを狙っていこうと2008年からは海外事業に進出。すると今度は海外のアーティストや建築家など色んな人との出会いが生まれます。傘で家をつくったり、ドレスをつくったり…さまざまなコラボレーションを通じて伝統工芸ながらクリエイティブな職人集団というブランディングを磨き上げていきました。

またパリやドイツ、NYの商業見本市にも出展。こうした活動を通じて異なる分野からの問い合わせも増えています。良いものは作るだけでなく、広めることが本当に大切。良いものだとわかっていただく努力ですね。ブランディングには商品開発と同じだけの時間と労力、そして予算が必要なんです。

いまではデザイン照明は売上比率で和傘を完全に超えています。魔除けから雨具、そして照明器具へ。「伝統は革新の連続」という日吉屋の企業理念はまさにその実践から生まれたものといっても過言ではありません。

「ネクスト・マーケットイン」で全国の伝統工芸を支援

コンサルティング業をはじめたきっかけは京都市役所から相談を受けたことからです。京都には伝統工芸がたくさんありますが、どこも近代化に乗り遅れビジネスとしての成功とはほど遠いのが現状。右肩下がりで、それが後継者不足に拍車をかけることにもなり廃業の危機にさらされている工房ばかり。日吉屋のような成功事例を他でもつくれないか、という依頼でした。

そこで日吉屋の商品を販売しているフランスやドイツの業者をアドバイザーとして招聘。商流や文化の違いを理解した上で海外のクリエイターと一緒に、その国のニーズにあわせて伝統工芸品をアレンジしました。そこからいくつか成功事例が生まれ、京都だけでなく全国へと広がっていったのが事業化の背景です。

その過程で「ネクスト・マーケットイン」というメソッドを確立し、現在では全国でのべ700社以上の支援実績があります。さらにメソッドをまとめた書籍の出版や、プロデュース業も展開。特徴はプロデュースさせてもらった商品を日吉屋でも販売する、という点です。決して企画提案で終わらせず、実売による利益確保まで面倒を見ます。

全国のさまざまな伝統工芸支援を通じてあらためて感じるのは、それぞれの技術が本当に素晴らしいということ。先進国でここまで伝統工芸が残っている国も珍しいです。もっと日本人が大切にすべきかけがえのない資産だ、という思いを強く持ちました。だけど保護とは違います。それは博物館がやればいい。現場はあくまで産業ですから、いまのお客様に求められるプロダクトであるべきなんです。

いまの時代、特にサスティナブルが声高に叫ばれるようになってきていますよね。そうなればなおのことハンドクラフトの良さが際立つし、もともと伝統工芸は大量生産向きではありません。その分、付加価値で勝負になるわけで、これからますます工芸がカッコいいものとして脚光を浴びるんじゃないかと思います。

最後に一つ、ご紹介したい取り組みがあります。それが「京都アンプリチュード」への協力・支援です。

京都アンプリチュードとは京都中央信用金庫100%出資の地域商社。日本の伝統技術を現代のライフスタイルに合ったものへとリデザインし、新しい豊かな生活の提案を世界に向けて発信しています。日吉屋はこの京都アンプリチュードにパートナー企業として全面提携。商材の開発支援からプロデュース、国内外の販売展開まで手掛けています。

この協業によって日吉屋の取り組みもさらなる発展が期待できます。金融機関の持つ信用力、ネットワーク、リソースを活用すれば、これまで私たちだけではできなかったこともできるようになる。伝統工芸の衰退という地域が抱える社会課題の解決もより加速するでしょう。ショールームができて一周年。これからますます面白くなっていくと期待しています。みなさんにもぜひご注目いただきたいですね。

株式会社日吉屋の求人情報

株式会社日吉屋では、「デザイナー職」及び「セールス職」の募集をしております。

デザイナー職

株式会社日吉屋にデザイナー職として中途入社した村松さんにお話を伺いました。(当日はリモートワークの為、オンラインにて取材をさせて頂きました)

私は、武蔵野美術大学で工芸工業デザインを専攻し、主にインテリア向けの家具や空間について学びました。その後、東京の企業で設計デザイナーとして、ビッグサイトなどの展示会ブースのデザインや、博物館などの公共施設で行われるイベントのグラフィックデザインなどに携わっていました。夫の転職を機に京都に移住することになり、ご縁があって日吉屋に中途入社をしました。

前職には、フルリモートという形で残ることもできたのですが、私が広島出身で京都は初めて生活する土地だったということもあり、これを機に他業種や他職種に挑戦する選択肢も視野に入れつつ、ゆっくりと考えたいなと思っていました。
そんな中で、知人経由で日吉屋のことを知りました。正直、京都でデザイナー職での就職は難しいと思っていたのと、元々工芸や工業に興味があったので、自分の得意としているデザインの力で工芸発展を支援できたらやり甲斐になると思い、入社を決めました。

職務内容としては、展示会でのブースデザインやグラフィックデザインを中心に、それに付随するグラフィックや、出展企業の情報をまとめた冊子の作成なども行っています。そこから、例えばEC用の商品写真を撮影してリタッチしたり、商品のブランディングを目的にロゴデザインやパッケージデザイン、プロダクトデザインを考えたり、デザイン領域を広くお手伝いさせて頂くことが多いです。

前職と比較する訳ではないですが、日吉屋では、デザイナーの介在価値が高いところにやり甲斐を感じています。前職は大手だったこともあり、ひとつひとつの規模は大きいですが、プロジェクト全体の一部のみに携わるケースが殆どでした。ただ、今はひとつひとつの規模は小さいかもしれないですが、プロジェクト全体というか、川上から川下までも自分で見れますし、その分デザイン視点での意見も反映されやすいなと思います。

また、デザイン起点の考え方も違うなと思っています。これまでは企業イメージを受け継ぎながら、次はどのように展開していくか…というところを軸に考えていました。ただ、いまって、職人さん達の素晴らしい技術と伝統はあるけれど、魅せ方というか、デザインやブランディングという視点はこれまであまりやられてこなかったことが多くて…本当に“もっとみんなに知ってほしい”技術や伝統を自分の力でイチから伝えていく、こういったデザイン起点の仕掛けを自分で考えられるのがやり甲斐を感じます。介在価値が高いからこそ、やっぱり携わった商品や事業に愛着が湧いちゃって…それがじわじわと広がっているのを感じる感覚はデザイナーとしてモチベーションに直結します。

いまプロジェクトマネージャー(以下、PM)の方が4名いて、各PMが複数の案件を抱えている状況です。デザイナーは、各プロジェクトを横串で担当する形になるので、社内のコミュニケーションは各PMの方と取ることが多いです。プロジェクト毎に求められる意向や業務自体も変わってくるので、自分の拘りを追求して納得するまで考えることも大事なのですが、バランス感覚をもって柔軟に行動できる方の方が向いているかもしれません。
基本的に、当社を頼りにしてくれる事業者さんはデザインやブランディングのチームを社内で持ち合わせておらず、困ったことがあれば出来る限りなんでもお手伝いすることになります。空間デザインの経験しかなくてもプロダクトデザインを考える必要があったり、カメラ経験がなくてもEC用の写真を自分で撮ったり…大事なのは、新しい挑戦に興味が持てるかだと思っていて、自分の経験を広げたいとか、工芸工業が好きで事業者さんや職人さんの力になりたいとか…動機はなんでもいいので、プロじゃなくてもチャレンジする気持ちがある方は向いている環境だと思います。

セールス職

続いて、株式会社日吉屋にセールス職として中途入社した山元さんにお話を伺いました。(当日は出張中だった為、オンラインにて取材をさせて頂きました)

大学にて建築の勉強を行い、新卒にて損害保険の会社にて4年ほど営業を経験した後に日吉屋へ転職をしました。地元が石川の輪島でして、家業が輪島塗をやっていたこともあり、伝統工芸に関心がありました。将来的に伝統工芸に関わる仕事をしたいなと漠然と考えていまして、大学在学時から色々と展示会や講演会には参加をしていました。実は、そのときに1回だけ西堀さんの講演会にも参加したことがあって、まさか当時は、西堀さんの下で働くとは思ってもいませんでした(笑)

現在の業務は、伝統工芸品を内装に使って頂く為の営業です。主に不動産やデベロッパーなど、建物の企画を行う企業が多く、設計や内装デザインを手がける方々に対して、伝統工芸品を素材として提案を行なっています。また一部ですが、一般消費者の方に向けて、照明や家具などの提案も行うこともあります。
私を含むセールス職は、日吉屋Craft-Lab提携先の京都アンプリチュード(京都中央信用金庫の子会社)に出向という形になります。立ち上げた約2年前からは、京都中央信用金庫さんのお客様へご挨拶などに伺いながら営業をしていましたが、最近では依頼やお問い合わせを頂くことも増えており、こちらから新規で営業をすることは減ってきました。

特に入社当初の頃は、現場というか専門的な知識を覚えていくのに苦労しました。伝統工芸の素材で企画化されていないものが殆どで….例えば、竹のパネルとか瓦のタイルとかを施工するときに、「この素材にこのビス使っていいの?」とか「水回りに近いトイレに使っていいのか?」とか現場の施工会社さんからいろいろ聞かれたりしますし、デザイナーさんからしてもその素材の扱い方がわからなかったりします。なので、セールスが利用意図や使い方を把握して、それぞれ舵を取っていく必要があり、前の現場で覚えた知識を次の現場で使っていきながら知識を増やしていくことを地道に行いました。そういった点では、伝統工芸に興味があるか、建築や内装に興味がある方でないと、専門用語とか専門知識が多いので、受験の為の暗記みたいで覚えるのに苦労するかもしれません(笑)

伝統工芸の事業者さんって、これまで法人への営業とかデザイナーさんとかに提案したことがないって方達が多いので、そこに我々が介在することで内装として使われたり、施工事例として実現できたりするのはすごく嬉しいですよね。今までに無かった販路が広がったとか、伝統工芸の新しい使われ方にちょっと貢献できたと思えるのは、いつでもやり甲斐を感じます。繰り返しになってしまうんですけど、右から左、左から右…って横流しするだけでは企画しえないから実現しないんですよね。だからこそ、我々営業が企画から提案することに介在価値がありますし、難易度が高いからこそ競合も入ってこれない、我々自身の価値があると思っています。

いまセールスチームは、私を含め3名で行っております。
基本的に、利用を検討頂いている企業様は実物を見ないとわからないってケースが殆どなので、伝統工芸の事業者様からサンプル品をお預かりして、それを持って現地にいくことが多いです。検討が進んだタイミングで、オンラインで調整を進めていく形になりますが、初回は訪問をすることになるので、京都から大阪や東京に出張をする機会は多いです。
私も、もともとは石川出身で東京で勤務をし、京都に移住してきている身ではあるので、京都自体もすごい好きなんですけど、定期的に出張があるのは逆に心理的に少し安心感があったかもしれないです(笑)

これは語弊が無いように伝わってほしいのですが…伝統工芸の文化は、別に無くても困らない人もいますし、文化としてはマイナーなものになっていると思います。ただ、マイナーかもしれないこの文化が人の支えになっている場面もあると思うんです。これから伝統工芸が大逆転してメジャーな文化になることはないと思うんですけど、マイナーな文化があるということが、これからの多様性の時代において、すごい大事なことのような気がしています。伝統工芸って、無くなってしまったら取り戻すのが大変な文化だと思うので…伝統工芸が伝統工芸としての在り方を在り続けられるように、そこに貢献できたら嬉しいなと思っています。

株式会社日吉屋の募集要項

職種名
① デザイナー職
② セールス職

雇用形態
正社員

試用期間
6カ月の試用期間あり。その他待遇に変更はありません。

勤務先住所
京都アンプリチュード ショールーム/事務所(事業提携先)
京都府京都市中京区御池通堀川東入森ノ木町208番地の2(最寄駅:京都市営地下鉄東西線二条城前)
京都市上京区の株式会社日吉屋で正規雇用の後、同じ京都市内中京区の事業提携先である京都アンプリチュードショールーム内事務所での勤務となります。(同様の形態で既に1名勤務中)

勤務時間
8:30 ~ 17:30
・実働8時間(休憩1時間)
・繁忙期は残業もあります

給与
月給 261,000円 ~ 320,000円 (※想定年収 3,400,000円 ~ 4,200,000円)
・6カ月の試用期間があります。その他待遇に変更はありません。
・6カ月後に給与額5%UPします。(キャリアアップ補助金適用)
上記額には固定残業代(月30時間分、48,800円分~)、住居手当(通勤手当との選択制)を含みます。
※固定残業は手当等により変動します
※超過分は全額支給します
※前職考慮いたします。

手当/待遇
・給与改定年1回(決算月※業績による)
・賞与年1~2回※業績連動
・各種社会保険完備(健康、厚生年金、労災、雇用)
・交通費支給あり
・寮/社宅/住宅・交通費手当あり
・服装自由
・資格取得支援・手当あり(条件あり)

※感染症対策として以下の取り組みを行っています
・消毒液設置
・時短勤務制度あり
・オンライン選考OK
・緊急事態宣言下ではテレワーク・在宅勤務OK

応募資格

各種専門学校卒以上 / 経験者を優遇します。
・インテリアデザイン、空間デザイン等のデザイン業務経験必須
・二級建築士以上の資格所有者優遇

学歴不問 / 経験者のみ募集

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