株式会社陶葊(とうあん) 代表取締役/四代目当主 土渕善亜貴(よしあき)様

常に新しい種を蒔き続け、トライを繰り返す京焼の老舗

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今回は、株式会社陶葊 代表取締役/四代目当主 土渕善亜貴 様です。

【Profile】
株式会社陶葊(とうあん)
代表取締役/四代目当主 土渕善亜貴(よしあき)

1980年京都生まれ。同志社大学文学部美術及び芸術学専攻。卒業後、先代の父である善英氏に師事。2010年、陶葊四代目当主になる。2018年、茶碗の最高峰とされる『曜変天目』の再現に成功。第41回京焼・清水焼展にて最高賞・経産大臣賞を受賞する。2019年からは京焼・清水焼窯元である陶葊の当主であると同時に個人でも作品作りと向き合っている。

京焼・清水焼の窯元として屈指の大所帯

京焼・清水焼窯元の陶葊は大正11年(1922年)、私の曽祖父である土渕俊雄が京都の東山泉涌寺にて創業しました。1950年には株式会社化され、2024年現在は私が四代目として当主を務めています。

本店の工房で製造に携わる職人は成形や絵付けなどで総勢20名ほど。作業はすべて手仕事であり、京都の窯元としては屈指の大所帯といえるでしょう。

もともと初代の曽祖父は伝統的な京瓦をつくる瓦職人でした。京都にはいわゆる丁稚で来て、独立したのがそもそものはじまりだと聞いています。当時は装飾的な瓦、鬼瓦などをつくっていたそうです。初代がつくった瓦は評価が高く、日本最古の博物館でもある東京国立博物館の日本館にも使われています。

器、特に食器をつくりはじめたのは戦後から。ですから80年ぐらいになりますね。実は戦争中、陶磁器業界は軍需産業に関与していました。日本中で金属が不足していく中、代替素材として陶器でつくれるものを、という声があったんですね。

しかし軍需というものは終戦とともに雲散霧消します。当たり前ですが戦争が終わった瞬間に注文がなくなりました。すると今度はモノがない時代がはじまったということで、土鍋の製造に火が付きます。煮炊きする道具すらない状況ですから、土鍋は当時飛ぶように売れたとのことです。陶葊でもいまだに時折つくりますが、戦後しばらくは土鍋ばっかりつくっていたらしいですよ。

そして徐々に日本が高度成長期を迎えていき、陶器のニーズもふだんづかいの食器からより高級な陶磁器へと移っていきます。このようにひと言で焼き物といっても時代ごとにあわせてつくるものに変化・変遷があるわけです。

新しいものにチャレンジしやすい土壌

私たちが扱っているのはいわゆる清水焼と呼ばれている焼き物です。そもそも焼き物の産地は日本全国に及んでいるのですが、共通しているのは土が取れる土地であること。原料が取れてそれを活かして需要にあった日用品や工芸品をつくっているわけです。

でも都であり文化の中心地でもある京都ではほとんど土が取れません。そんな中でどうやって京焼が成立したのか。きっかけはお茶です。安土桃山時代、江戸後期ぐらいに茶の湯が盛んになった時代がありました。いまの茶道が確立したんですね。

そこでいままでとは違ったお茶をつくりたい、あるいは茶の道具をつくりたいという声があがります。それまで材料や道具については産地に直接注文を出したり、場合によっては朝鮮や中国、ベトナムに依頼したりしていたんです。しかし当然、時間もかかるし、思っていたのと違うものが届くこともザラにありました。

そこで家元たる大名や豪商は職人を京都に呼び出すことにしたんです。自分の近くで自分の好きなものを自分の気にいった職人に作らせる……これが京焼の起源となります。ですから渋いものから華やかなものまで好みによってさまざまな焼物が焼かれていきました。

いろんな産地のいろんな様式を混ぜながら京風にしていくというのが京焼のルーツですから代表的な技法もありません。いまでもいろんな様式があり、隣の窯元さんとはまるで違うものをつくっています。逆にいえばどんなものをつくっても京焼と呼ぶことができる。つまりもともと新しいことにチャレンジしやすい土壌ができていたのです。

また京焼と清水焼は違うのか、という質問もよくいただくのですが、学術的にいうと京都の焼物はすべて京焼に含まれます。その中で場所によって清水寺の近くのものは清水焼、八坂神社のそばは八坂焼、清閑寺の近くなら清閑寺焼と区分けされていました。

ただ、戦後に京都の焼物を全国に広める取り組みがあった際に、認知度を重視して清水焼という名前で流通させたんです。その後、伝統的工芸品産業の振興に関する法律ができて、京都の焼物の名前をどうするかという議論になりました。そこで本来であれば京焼なのですが浸透度合いを考えて『京焼・清水焼』と連名にしようとなったわけです。

2~30年周期で主力商品が入れ替わる

当社でも100年以上焼物を扱ってきていますが最初から食器だったわけではありません。冒頭にもお話しした通り、鬼瓦や土鍋など時代のニーズにあわせてつくるものを変えてきました。食器がメインになってからも同じ商品だけをひたすらつくり続けているわけではなく、主力商品は20年~30年ぐらいの周期で変わってきています。

もちろんファッションなどのトレンドと比べるとゆるやかな変化かもしれません。でも決して古きよき、みたいな文脈で語られるものでもありません。時代の流れの中で流行り廃りがあるんです。何百年も同じものをつくり続けている、というのが伝統工芸のイメージですけどまったくそんなことはないですね。

面白いのは時代だけでなく、顧客層によってもつくるものは変わるということ。たとえば私が子どもの頃は日本経済が右肩上がりでした。つくっているものもほぼ100%国内向け。中間層がいちばん多い時代で華やかなもの、派手なものが好まれていました。

ここ10年20年はデフレの時代です。国内で高い商品が売れなくなってきました。そしてライフスタイルにも変化が訪れていて、食洗機や電子レンジOKのものが求められます。またデザインもシンプルで季節感のないものが好まれますね。

一方で海外に目を向けると国内とはまた違いがあります。国によって食文化が違いますし好みも異なります。日本とヨーロッパはそこまで大きな違いはありませんが、さすがに懐石でつかうような器は売れません。ただしお茶を飲む文化は共通しているので茶器がよく売れる傾向にあります。

このようにトレンドや時代だけでなく国、文化、顧客ターゲットなどの掛け合わせでニーズが細かく変わります。どこまで追求するかという問題はありますが、やはり売れなければ会社として立ち行かないわけで、伝統工芸といえども普通のビジネスと同じくアップデートを重ねていく必要があるんですね。

簡単に真似できないものを匠の技で

私が四代目当主に就任したのは2010年のことです。もともと父親と私の年齢差が30歳ありまして、20歳ぐらいの頃から父は60歳で引退するからそのつもりで、と聞かされていました。だいたい既定路線ではあったのですが、それでも会社の全責任を負うことになりますし、大変なプレッシャーでした。そのあたりは他の二代目社長、三代目社長と同じです。

ただ、親の希望を叶えることにもなりますし、何百人もいるような大きな会社でもないので早めに継いでおいたことは今となっては良かったですね。

当社は事業の分類でいえば製造業、メーカーということになります。メーカーといえばものづくり。ものづくりにあたって最も大切にしているのは新商品をつくる際に他社に簡単に真似できない技術的なものを必ずそこに入れるということです。これは先代からずっと受け継がれてきた考え方になります。

陶器は売れるとすぐにコピーされてしまいます。形をつくるだけならどこでもできますので一瞬で真似されてしまう。量産して安く売る会社に取られてしまうんです。そうならないためには焼き方や色の出し方などなかなか模倣や再現できない、やったとしても難易度が高いものをつくる。他社の参入を許さない独自性を確立する必要があるんです。

もうひとつ大切にしているのは、ひとまず思いついたら種を蒔く、ということ。これはものづくりにも経営にも共通するんですけど、10個ほどトライしてみても芽が出るのはたった1個ということってザラにあるんですよね。いや、10個中1個はかなりいい方かな。20個試して全部ダメだったということもあるぐらいです。

いくら考えて綿密に計算したところで思った通りにはならない。だからひとまず思いついたものは種を蒔くようにしています。その中から芽が出てきたものを育てて、さらに大きく伸びそうなものを選んで集中して力を入れていく。それをやっている中でまた新しい種を蒔いて、という繰り返しが大事なんですね。

さきほどもお話しましたが伝統産業、伝統工芸って特殊に思われがちですが他の企業と同じです。1つのビジネスモデルが未来永劫続くわけではありません。よく企業の寿命が20年とか30年といいますが、あれは創業者が考えた商品やサービスをビジネスモデルとして確立して、それが通用しなくなるまでの年数なんだろうなと。

伝統産業も同じです。売れる商品も売り先も20~30年で全て変わります。その間に次の手を打っておく。第二創業、第三創業というように次々とチャレンジしないと生き残れません。そういう意味で、他の企業と全く同じなのです。

機敏な動きで方向転換しながら10年先へ

数ある地方都市の中でも京都は恵まれていると思います。当社も観光地に直営店を出していますが、なんの宣伝もせずともお客様にご来店いただける。これは他の地域では考えられない話ですので恩恵を受けている分は何らかのお返しをしなければいけません。

異業種の伝統工芸とのコラボレーションはそのひとつですね。京都には伝統産業だけで70種類ぐらいあるんですよ。有名なものでは西陣とか、焼物もどちらかというと知られているほうの分野なんですが、実は結構マニアックな、誰も聞いたことのないような工芸品もあったりします。

その中でも結構時代の変化にうまいこと対応して商売として成り立っているところもあれば、波に乗り切れずに廃業の憂き目に遭ってしまうケースも結構ある。そのあたりをなんとかキャッチして成長軌道に乗せるのがコラボレーションによる商品開発の狙いです。

この先の時代の変化は激しくて正直10年先までは見通しが立たないですね。ただ5年先までなら見えています。

国内での需要は下がる一方なので海外への進出は必然です。すでにいくつかの国では上手くいっているんですが、次に狙っているのがインドです。インドで陶器や伝統産業がハマるんじゃないかと。もちろんやってみてダメだったという可能性も多々ありますがまずは先ほども言った通り、種を蒔くことからはじめます。

国内もようやく長年の不景気からなんとか抜け出せそうな兆しが見えてきたので、これがあと5年か10年ぐらい続けば景気回復も狙えるんじゃないでしょうか。そうなるとデフレの時に求められたニーズとはまた変わってくるでしょう。それを見越して今後、国内向けの商品開発は頭を切り替えていくべきだと思っています。

経営の場合、外部環境に影響を受けることが多いですから、ビジョンを立てて10年後を描いても上手くいくとは限りません。それより小さな会社の強みである機敏さを活かして5年後をつくり、その過程を見ながら次の5年後に向けた動きをチューニングしていきたいですね。母体が大きいと舵を切るのも大変ですが、中小零細は180度方向転換してもやっていけますから。

また陶葊のこれからをつくっていくにあたって人材採用は最大の経営課題になります。特に製造の現場は特殊な仕事で一日中椅子に座って同じ作業を繰り返すことになります。ですから一にも二にも、ものづくりが好きであること。ものづくりが好きじゃないと絶対に続かないですね。

そして職人をはじめるなら早いに越したことはありません。30過ぎて未経験からできないことはありませんが、どのレベルまで技術を追求するかという問題がでてきます。本当の職人技を極めていきたいのであればやはり若い頃からはじめておくべきでしょう。

【URL】
株式会社陶葊のサイトです。
https://www.touan.co.jp/

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社名:株式会社陶葊
本社所在地:京都府京都市東山区泉涌寺東林町38
創業:大正11年
事業内容:京焼・清水焼の製造・販売
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