株式会社フィッシャーマン・ジャパン・マーケティング 津田祐樹社長

水産業をカッコいいものに。震災から立ち直る三陸と日本から水産業を変える。

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今回は、株式会社フィッシャーマン・ジャパン・マーケティング 代表取締役社長 津田祐樹 様です。

【Profile】
株式会社フィッシャーマン・ジャパン・マーケティング
代表取締役社長 津田祐樹 

1981年宮城県石巻市生まれ。グロービス経営大学院 経営学大学院修士課程修了。魚屋二代目として家業を継ぎ奔走するなかで東日本大震災に遭遇。地元水産業の後継者不足と流通の課題を解決するため、若手漁師ら数名と「フィッシャーマン・ジャパン」を発足する。2016年3月より株式会社フィッシャーマン・ジャパン・マーケティング代表取締役社長に就任。近年はサステイナブルな水産業を目指して海洋環境保全にも注力する。

目次

フィッシャーマン・ジャパンができるまで

フィッシャーマン・ジャパンは、三陸から日本の水産業を「新3K=カッコいい、稼げる、革新的」に変えることを目指して活動する漁師団体です。事業は主に、担い手育成やプロモーションを担う『一般社団法人フィッシャーマン・ジャパン』と、商品開発や販売を担う『株式会社フィッシャーマン・ジャパン・マーケティング』で展開しています。

設立のきっかけは2011年の東日本大震災でした。震災直後はいろんな支援があってどうにか頑張ることができた三陸の水産業も、しばらくして平常に戻ると震災前から抱えていた問題に改めて真摯に向き合っていかなくてはいけなくなりました。

しかし水産業は自然や海という公共物を相手に行っていかなくてはならない産業で一個人や一民間企業だけで解決できる問題ではありませんでした。

どうしたらよいか悶々とした日々を送っていたところに、ヤフー株式会社の復興支援室『ヤフー石巻復興ベース』が石巻にできました。彼らが被災地支援としていろんな浜に足を運ぶようになると、同じような問題意識を持つ若手漁師が各地にいたということで今のメンバーを引き合わせてくれたんです。

実はそれまで、僕のような魚屋と漁師は信頼関係が希薄でした。というのも、魚屋は1円でも安く魚を仕入れようとするし、漁師は1円でも高く魚を売ろうとするからです。それでも「まずはおれらの顔に免じて会ってみないか」と促され会ってみると、同じ志を持った漁師達に心を動かされ、力を合わて水産業の問題を解決していこうとすっかり意気投合しました。

そして2014年に一般社団法人を設立。最初から法人にすることは心に決めていました。法人は必ず年1回の会計報告が必要ですし、登記される役員にも責任が生じるからです。そのくらい本気を出さないとという思いがありました。

2年ほど活動すると知名度が上がり、ありがたいことに新規の担い手や水産業に関する問い合わせも増えてきました。ただその一方で、そもそも水産業が儲からないという課題は依然としてあったので、新しい商流物流の仕組みも作っていこうと2016年に販売部門として株式会社を設立したという流れです。

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三陸の水産業はカッコいい

僕たちには「水産業を『新3K=カッコいい、稼げる、革新的』産業に変える」というミッションがあります。

というのも、普段目にすることのできない海で、どんなことが行われているかなんて誰も想像できないですよね。一般の方が思い描くいわゆる「3K=きつい・汚い・危険」の水産業のイメージはテレビを通したものです。テレビは視聴率を稼がないといけないから、どうしても荒波と戦うマグロ漁師とか極寒のねじりはちまき的な面白い話に特化されてしまいます。それとなく水揚げがあってそれとなく生活している人を番組にしたって誰も見ないですよね。

その点、ここ宮城県の水産業はワカメ・昆布・ホタテ・牡蠣などの養殖も多く、波が穏やかな内湾で行う農業のような形の漁業もあります。それがこの地域の水産業の本当の姿なんですよ。

僕たちは水産業の真の姿が、実はキラキラしていてカッコいいんだということをSNSなどで発信することが重要だと思っています。

人生のターニングポイント

僕自身の大きなターニングポイントは、震災後の同級生の死でした。

そもそも僕は、こうした水産業に携わる気などまったくなかったんです。両親は魚屋でしたが、僕自身はベンチャーマインドが強く、職人気質ではないので、目利きの修行に何年もかかる魚屋になれる気もしませんでした。ただ、社会問題には関心があって特に環境問題に興味を持っていました。

そこで大学卒業後は就職もせず、インターンとして働いた会社の経営者から誘われて環境問題に取り組む会社を設立しました。しかし、すぐにその人と連絡が取れなくなり多額の借金だけが残りました。完全に騙されました。しかし、僕を信じた取引先や出資者にも多くの迷惑をかけてしまったのも事実です。当時まだ24歳、かなり追い詰められました。逃げてしまえば楽だったかも知れませんが、逃げたら二度と宮城に戻ってこれないと思い家業を継ぐことにしました。

家業の業績もあまり良くないなか、4-5年はがむしゃらに働きました。そして家業の回復の兆しが見えてきてそろそろ魚屋を辞めようかと思った矢先に東日本大震災によって自宅と職場が全壊しました。これを機に家業をたたもうかと家族と相談していました。29歳のときでした。

そんなとき同級生の死を知ったんです。震災の数日前に子供が生まれたばかりでした。

そこからですね。スイッチがパチンと入ったのは。これはもう本気で弔い合戦をするしかないと。

一番被害が大きかった石巻で水産業を必死にやって、あの震災があったからこそ三陸は変わった、日本は変わったという世界を作りたかったんです。自分の人生を考えるのは10年後でいいと思いました。

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「このままでは魚が取れなくなってしまう」海洋環境保全への思い

実際に10年間活動してきて、やれることはやったという達成感があります。けれど水産業の新たな課題も見えてきたので、改めて日本の水産業をどうにかしようと考えています。

その課題の一つは乱獲によって魚が取れなくなってきていること。これは国や法律を変えるぐらいの気持ちで取り組む必要があります。

残念ながら、統計上僕たちが口にしている水産物の約3割はIUU(違法、無報告、無規制)で漁獲された水産物です。消費には世の中を動かすパワーがあるので、例えば乱獲の恐れがあるものは買わないというふうに消費者が変われば全てが変わります。企業も自身の活動を存続させるためには、早くこの状況に気づいて行動する時期にきていると思います。

もう一つは海洋プラスチックや温暖化による海洋環境破壊です。これはかつて新卒で起業した頃に自分が一番やりたかった課題で、すごく遠回りをしたことでむしろ最前線に立てたと感じています。

ちなみに、なぜ地球温暖化で漁業がうまくいかなくなるとどうなるかというと、一つは海の酸性化があります。今まで生きられた魚が生きられなくなるのです。また、海水温の上昇によって魚が北に移動してしまったり、これまで冬はあまり活動してこなかったウニやアイゴなどの動きが活発になり海藻を食害してしまったりするので、海が磯焼けといってまるで砂漠のようになってしまうんです。

そうなると魚が海藻に卵を産み付けて孵化したとしても他の魚に見つかりすぐ食べられてしまいます。海藻が茂る場所を藻場(もば)と呼ぶのですが、藻場を復活させて生態系を取り戻さない限り、たとえ稚魚の放流などを行ったとしても魚は増えません。

実は海藻が相当量のCO2を吸収しているということも最近の研究で分かってきました。そのことからも地球温暖化を止めるためには地球上の7割を占める海に藻場を増やしていく必要があります。

ただ海は広いので僕一人が声を上げただけではどうしようもありません。日本全国に仲間を増やして、それぞれが藻場を増やすとか、食害につながるウニやアイゴを積極的に取るなどの活動をすれば、海は確実に戻ってきます。それが10年以上海に関わってきた実感としてあるので、みなさんに海の問題を知っていただきたいですね。

2030年は運命の岐路で、これを過ぎてしまうとドミノ倒しみたいに止められなくなると言われています。この心配が取り越し苦労であることを願いますが、本当ならばもう時間がありません。将来、いま目の前にいる子どもたちから「よかった」と言ってもらえるように、大人たちが変わる必要があります。

僕はたまたま震災のとき仙台にいたのでこうして生きていますが、やはりいろんな極限を見てくると生きているだけで本当に幸せというのがあって。この10年間は金銭的な苦しさもあって走ってきましたが、ようやくこうした海洋環境保全にもチャレンジしてみたいと思っています。

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三陸から日本の水産業を変える。そして世界へ。

こうしたうねりを「三陸から」というのはあります。はじめは法人名に三陸や東北といった地域名を入れることも考えましたが、本気でやるなら「フィッシャーマン・<ジャパン>」にしようと決めました。「俺らが日本の水産業を変えてやる、日の丸を背負おう」という意気込みを示したかたちです。やっと今その理想に現実が追いついてきた感覚があります。

これまでは何か起きると国や行政からの補償に頼ろうという声が水産業界のマジョリティとなっていました。しかし全国には高い志を持った志士たちがいます。その志士が集まることで、たとえ地域のマジョリティにはなれなくても、日本という国のマジョリティにはなれるかもしれない。それがやっとできるようになってきたんです。僕らが手を上げれば付いてきてくれる水産会社さんが日本中にいて、行政や国もやっとわれわれの意見を聞いてくれるようになってきました。

そしてここ三陸を、大学などの高等教育で得た高度なマーケティングやデザインや金融などの知識を生かせる場所にしたいと思っています。若者が地元に就職しない理由は明らかです。その知識や能力を活かす場がないからです。逆に言えば、そういうことが出来るならどこでも働けると思うんです。

実際、今日もうちのスタッフがアメリカに行っています。やっとアメリカへ向けた輸出の道筋ができたところです。海外輸出は会社設立当時からやりたかったことでした。だってこんな地方にいながら世界と対等に取引できたら、楽しくてそれだけで人が来てくれそうじゃないですか。能力を活かせば田舎でもこういうことが出来るようになるんです。そのうち本格的に売りますよアメリカで。

これからは地方の時代です。東京もワクワクして楽しいですが観光や食べ物などそうした資源は地方にしかありません。実際、今年の2月にマレーシアへ行き、現地の富裕層に石巻の食材をプレゼンしてきましたが、非常に反応が良かったです。食べ物には国境を越えて分かり合える力があるんですよね。

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常識に疑問を持ち、世界を変えていこう

僕らは自分たちのことをソーシャルベンチャーだと思っています。社会課題に向かい合っていくのが基本なので、この会社がなくなることが究極の使命だと思っています。そういうことが前提としてあるなかで自分たちが先頭を切っていくので、われわれがやってることは常に先行事例がなく答えもないんですよ。

ですから「津田さんどうしたらいいですか」と答えを聞かれると、「僕も答えを知らないから自分だったらどう思うか考えてみて」ってポーンと突き放しちゃうことがあります。なので、未知のものに対して自分で挑戦できる人じゃないといけないし、そういうものに探究心を持つ人が欲しいですね。じゃないと多分続かないと思います。

世の中の常識に対してこれおかしいぞと疑問を持って、なんでだろうと自分で調べて仮説を立てて、そこに対してアプローチするとかそういうことが自発的にできる人を求めています。

今、僕たちは時代を変える節目に立っているという実感があります。 自分の頑張りで本当に世の中を変えられるということがあるとテンション上がりますよね。一緒に世界を変える、この岐路に立っている感じを楽しんでもらいたいです。

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【URL】
株式会社フィッシャーマン・ジャパン・マーケティングのサイトです。

https://fishermanjapan.com/

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社名:株式会社フィッシャーマン・ジャパン・マーケティング
本社所在地:宮城県石巻市千石町8-20
設立:2016年
事業内容:水産物卸売業、小売業、飲食業、海外輸出業、他
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